物心がついた時には、私の母方の祖父は人工透析を行っていました。腎臓の働きが悪く老廃物をコントロールできなくなったので、機械によって血液をろ過していたのです。
しかし通院をしているようには見えないほど元気で、帰省する度に祖父の運転する車で家へ行っていました。背が高く、よく笑う人でした。
それから十年弱が経ち、足を悪くして寝たきりになってから、祖父はしゃべることができなくなりました。
祖母以外に話し相手がいない環境は、想像以上のスピードで祖父を弱らせていきました。自分の足で歩く、自分の手で何かをする、他人と喋る。私たちが当たり前にしていることは、私たちの健康に多大な影響を与えているのだと実感しました。
中学一年生の冬休みに帰省した時には、祖父はたどたどしくしか会話ができなくなっていました。表情も変わらなくなりました。
幼いころの私の写真は判別できても、目の前の私が誰だか分からないと言いました。言葉だって話さない生活が続けば、話せなくなるのです。
母は祖父を老人ホームに入れる提案をしました。祖母だけでの介護が難しくなったせいもありましたが、それ以上に人と関わらない今の環境は祖父にとって悪影響でしかないと判断されたからです。最終的に、祖父が老人ホームに入ることで話し合いは決定しました。
老人ホームに入ってから一年が経った頃、再会した祖父は施設のスタッフが押す車いすに乗り、昔と同じ笑顔を浮かべていました。まるで人が変わったように、すらすらと喋ることができるようになったのです。
スタッフによれば、施設でたくさんの人と触れ合ううちに喋ったり笑ったりできるようになったそうです。誰かと接し続けることこそ、人が人として暮らせる一番の支えです。
その時から私は、帰省の度にたくさん祖父に話しかけるようにしました。あまり頻度は高くありませんが手紙を送るようにもなりました。
残念ながら祖父は最後まで私が孫であると判別できないまま、二年前に他界しました。それでも手紙を送り始めてからの日々が無駄だったとは思いません。
私に向けられた祖父の笑顔は最高の贈り物です。
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